
川田 龍吉(かわだ りょうきち)1856年4月18日−1951年2月9日
川田龍吉は、江戸時代末期に土佐で生まれました。
21歳の時に造船技術を学ぶためイギリスへ留学。
大学で機械工学を学び、造船所で舶用機関術を修めました。
この時、イギリス人女性ジェニーと知り合い恋人となり、一緒にじゃがいもを
食べるデートが楽しみでした。
結婚も約束しましたが父小一郎の大反対で婚約は不成立。
しかし、ジェニーへの想いは生涯に渡り胸の中に秘めており、後に発見された
金庫中で大切に保管されている金髪と90通にも及ぶラブレターで明らかになり
ました。
帰国後は三菱製鉄所、日本郵船機関を経て横浜ドック社長に就任。
この時、アメリカのロコモビル社製蒸気自動車を購入し日本人初のオーナード
ライバーとなりました。
41歳の時、父が急死し男爵の爵位を継承します。
当時、造船不況に喘いでいた函館ドックは龍吉に再建の白羽の矢を立て社長
に招聘。
龍吉は積極的な策を実践して再建を成功させるとともに、イギリス留学時代に
ジェニーと一緒に食べたじゃがいもを育てたいと思い立ち、七飯村(現七飯町)
に農場を開設して様々な種いもを試験栽培します。
その中で「アイリッシュコブラー」という品種が北海道に適しており普及に努め、
「男爵様が育てたいも」から「男爵いも」と名付けられます。
函館ドック勇退後は、残された生涯を北海道農業近代化のためにささげ、渡島
当別に農場を建設。
米国より最新式の農機具を多数輸入し、機械化による農業を試みました。
