ConceptRyoukichi Kawada川田龍吉男爵について

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川田龍吉男爵
川田龍吉男爵(1856-1951)

HAKODATE 男爵倶楽部 HOTEL & RESORTSは明治時代、函館に大きな功績を残した「川田龍吉 男爵」にその名を由来しています。
彼の進取のスピリッツを受け継ぎ新しいライフスタイル、旅行スタイルを提案して参ります。

コンセプト ※常設展示はしておりません。

「男爵いも」の生みの親 近代農業の功労者

■日本の造船工業界の先駆者
川田龍吉は、3代目日銀総裁を務めた父、川田小一郎から爵位を継承。
横浜ドックの初代社長に就いたのち、明治39年に函館ドック再建のため来函し、見事に復活させました。

■日本最古の車
川田男爵愛用のロコモビルが日本機械学会より「国内最古の自家用乗用自動車」として機械遺産の認定を受けました。

■「男爵いも」の生みの親、近代農業の功労者
農業にも強い関心を持ち、アメリカなどから大型農機具を輸入するなど近代農業の基礎を築きました。種いもを輸入し日本の風土でも栽培できるよう品種改良。
そのじゃがいもこそ現在の「男爵いも」なのです。

男爵いもは恋の味
イギリス人女性、ジェニーとの恋文。90通のラブレター

イギリス留学時代、イギリス人女性ジェニーと知り合い恋人となりました。デートでは畑を眺めたり、温かいじゃがいもを食べたりすることが楽しみでした。
二人の交際は順調に進み結婚も約束しましたが、当時は国際結婚が難しい時代で、承諾を得るために帰国したものの父親の大反対で婚約は成立しませんでした。
ジェニーとの結婚は叶いませんでしたが、生涯に渡り誰に言うことも無く胸の中に秘めていました。
それは、川田龍吉男爵が亡くなってから数年後に発見された金庫の中で大切に保管されていた金髪と90通にも及ぶラブレターで明らかになりました。
ラブレターには×がたくさん記述されています。
これはイギリスではキスマークを意味しており、現在も恋人等への手紙の最後に×を3個程記述することが一般的です。
×の数は次第に増えていき、最大156個もの×が記されています。

男爵いもの誕生

北海道函館市に渡った川田龍吉男爵は、風景がイギリスに似ておりジェニーのことを思い出しました。
ジェニーと一緒に食べたじゃがいもをこの地で育て食べてみたいと思い立ち、イギリスやアメリカから様々な種いもを取り寄せて試験栽培を行ないました。
その中で「アイリッシュコブラー」という品種が北海道の地に一番適しており、普及させることに努めました。
後に、このじゃがいもは「男爵様が育てたいも」から農家が「男爵いも」と名付けられます。

  • 男爵いもの誕生
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